ウェブ小説 アジア

陽炎の島(12)
 不動産屋を探し回って見つけたのは、オートロック式の1DKのアパートだった。家賃は高くても、私の学校から自転車で数分という利点があり、下見に来た秀麗も気に入ったようだったからすぐに契約した。引っ越しの日の朝、私は独りでアパートへ行って、真新しい家具が配置されただけの、まだ人の住み処らしくない部屋を掃除した。秀麗が選んだ、ソファー、チェスト、コーヒーテーブルは、どれも質素な物だったが、小花模様のピンクのカーテンを吊ると、辺りに若い娘らしい彩りが生まれて、自然と私の気持ちを華やがせた。
 午後の一時過ぎに俊傑の運転する軽トラックで三人の家族がやって来た。初めてアパートを訪れた昭儀は、窓を開けたり浴室や台所を覗いたり部屋の品定めをして、冷蔵庫が小さい、食器が少ない、と不満を洩らした。俊傑は黙々といくつかの段ボール箱を運んで、大きなベッドは土台とマットレスを分けて苦力のように担ぎ上げて来る。荷物はほとんどが衣服で、残りはジャズやクラシックや日本のポップスや雑多な趣味のCD、七〇年代のヴォーグのバックナンバー、小さな三面鏡、化粧品、ぬいぐるみだった。クローゼットに衣服を入れて、段ボール箱の中身をチェストへ並べると、夕暮れには主な作業が終わって、俊傑は先に帰ってしまった。私は母娘を高島屋のレストランへ連れて行った。昭儀はそのまま自分の営む酒場へ戻って、私と秀麗はアパートで整理を続けた。
 彼女は珍しく良く喋った。横浜アリーナの「あゆ」のコンサートで福岡の中学生と知り合って、新幹線で博多まで行って豚骨ラーメンを食べたことや、高校ではパンクロックのバンドのボーカルとして、自分が作詞した曲を歌っていたことを教えてくれた。秀麗は今でも日本の音楽やファッションが好きだったが、最近の日本贔屓の哈日族は嫌っていた。その気持ちはよく分かる。台湾の高校では日本語が正規の科目に加わり、CD屋には日本のポップスのCDが溢れ、街の美容院は高級感を出すために「日式」を掲げるが、私達は一時の流行で日本とつきあっているわけではない。
「兄貴も日本語喋れるんだよ」と彼女は言った。「でも喋らないの。日本人、嫌いだから」「俊傑君のお父さんは日本人だね」
「だから兄貴は自分のことも半分嫌ってる。劉さんは自分のこと好きなの」
「好きになる努力をした。この歳で自分と折り合いがつかないのは切ない。秀麗は?」
「日本にいる時は嫌いだった。今は普通かな」
 一通りの作業を終えると、足りない物をメモにして、明日私が買って来ることになった。アパートを出て自分の部屋に帰ったら、猫が水槽の下に坐って、じっと闘魚を見上げている。私は「こっちの方が美味いよ」と缶詰めのキャットフードを皿に空けた。
 翌日の昼前に訪ねた時、秀麗は起き抜けの幼い素顔でドアを開けた。初めてそんな彼女を見た。胸が切なくなった。入るのを躊躇っていたら、私の当惑を察したのか、「早く入ってよ」と母親とよく似た不機嫌な口調で言った。私はコーヒーテーブルの上へ買って来た物を並べて、ブランチのつもりの饅頭を置く。しばらくして浴室から出て来た秀麗は、濃い化粧と肌を剥き出した衣装の、いつもの彼女になっていた。饅頭を見て気分が悪そうな表情になり、「これから仕事だから」と掠れた声を出す。合い鍵を持たない私は帰るしかなかった。アパートを出た彼女は足早にMRTの駅の方へ歩いて行き、私はその後ろ姿を見送りながら、饅頭を噛りつつ自転車をマクドナルドへ走らせた。
 秀麗は毎日昼までアパートで過ごして、午後になるとスタンドへ行った。私は彼女が出勤する前に、その日の食料や日常用品を買って届ける。昭儀が娘の独立を認めた条件は、私が生活を保証すること、そしてきちんと籍を入れることだった。しかし秀麗は経済的な援助を受け入れただけで、結婚までするつもりはない。私も彼女の意志を尊重して、アパートでの長居は控えて、朗読を聞くためにスタンドへ通った。そういう中で僅かながら彼女の態度にも変化が現われてきた。気が向くと、「眠i」だの、「今變na客ga來ta」だの、他愛のないメールを寄越すようになった。休日は午後からどこかへ出かけて行くが、ある日は遊び相手がいなかったのか、夕食を作るから食べに来ないかと誘った。アパートで一緒に食事をするのは初めてのことだ。昼を抜いて勇んで出かけて行ったら、台所に豚肉や空心菜などの食材が投げ出してあって、青白い顔をした秀麗が坐っている。悪阻だ。彼女が台所を使ったのは、私が知っている限りその時だけだった。
 翌日から買い物のリストには柑橘類が加えられた。秀麗は苛々するようになって、話しかけても返事らしい返事をせず、スタンドでの朗読も気が乗らないと拒んだ。そのくせ仕事は一日も休まない。出産するまで休業してはどうかとメールを送ってみた。すると「o金貯mete Brazil行tte 小學校作ru」という返事があった。なぜ小学校なのか、またブラジルなのか、詳しいことは「秘密」らしい。ある夜、俊傑が私の部屋へ来て、いつまで妹をスタンドで働かせておくのか、なぜ一緒に暮らさないのかと詰問した。私は、秀麗が好きでやっているのだから仕方がない、悪阻がひどいので気散じになればいいと思っていると応え、かつて王子能が設計してくれた家の図面を見せて、今土地を探している、家ができれば一緒に暮らすつもりだと説明した。
 何か言いたそうな俊傑に、思いついて、よくアパートへ行くのか訊いてみた。時々部屋に彼女の吸わない銘柄の煙草の吸殻や、飲み残しのペットボトルがあって、ずっと気になっていたのだ。私の質問に、兄として様子を見に行っている、と彼は応えた。気を良くした私は、翌日秀麗に何か買いたい物があったら使いなさいと小遣いをやった。数日して洋服を見に行ったついでに買って来たと手提げ袋を渡された。臙脂色のポロシャツにベージュのコットンパンツと白いスニーカーが入っていた。驚いたことにどれもサイズが合っている。
「秀麗、吟行へ行かないか」私は自分でも思いがけないことを言った。「人間は呼吸しないといけない。海はどう。二三日、海辺の町で過ごすのもいいよ」
 吟行は、名所を訪ねて句を詠む行事のことで、気分転換にいい、と勧める私に、秀麗はこちらの気持ちを見透かすような眼をして、しばらく何か考えていた。
「……いいけど。二日ぐらいなら休み取れると思う」
 そして秀麗の安定期に入った五月の半ば、私達は一泊二日の吟行に出かけた。
「いいじゃん。別人みたい」その朝タクシーで迎えに行った私を見て、彼女は低い笑い声を洩らした。「お金あるんだから、たまには服買いなさいよ」
 確かに私は上から下まで真新しかった。自分ではないみたいで、細胞が入れ替わった感じがした。台北の駅から高速バスに乗って、昼前には海辺のホテルへ着いた。部屋は秀麗が最上階のスィートで、私はその階下のシングルだ。秀麗の部屋の広いテラスから見渡せる海は凪いでいた。白い雲を浮かべた空と群青の海が交わる水平線の彼方から、潮の香りが混じった風、ところどころに白い頭を持ち上げた波が静かに寄せている。秀麗は手摺に寄りかかって、長い栗色の髪に風を孕ませながら眼を細めた。
 テラスには二つのビーチチェアが並べてあった。私は部屋へ通じる掃き出し窓の上の、がらがらとハンドルを回して伸縮させる廂を出した。薄青い翳の中にビーチチェアを運んで秀麗を坐らせ、自分は陽の溢れた日向へ横になる。この近くには母が娘のころ奉公していた家があった。彼女は暇があると海を見に来た。その後胸の病が悪化して、この土地の療養院へ入った。死んだ年には、何か予感があったのか、何にも残してやれる物がないからと、自分の髪を入れた手作りの巾着をくれて、秋ちゃんがお金持ちになったら、ここにお母さんのお墓を作って、と淋しそうに笑った。私にできたのは海に臨む高台のユーカリの樹の下へ髪を埋めてやることぐらいだった。その昔私が来た頃も、その後毎年墓参りに来た時も、そして今も、この海は同じ色をしている。
「俳句作らないの?」後ろから、からかうように秀麗が声をかけた。「吟行なんでしょ」
「作るよ。どっさり作る」
 私達は海岸を散策して土産物屋を覗き、テラスでルームサービスの夕食を取り、海に入る大きな落日を眺めた。水平線のこちら側へ夥しいほどの茜色が流れ出して海原を染めている。波が夕陽の色を乗せて大きな潮騒を響かせながら迫って来る。絶景を見ながらも、心の眼はずっと秀麗に注がれていた。昂ぶった気分は夜になっても続いた。お互いの部屋に別れても、上に秀麗がいると思うと眠れなかった。仄かな月明りに照らされたテラスへ出て海を眺めた。どれぐらい時間が経った頃か、頭に冷たい物が滴った。雨かと思って空を仰ぐと、闇の中に秀麗の白い顔が浮かんでいる。
「俳句できたの?」声が笑っている。
「できた。眠れないから風に当たってた」
「本、持って来てるでしょ。上がっておいでよ。読んであげる」
 意外な提案に息苦しいほどの喜びを憶えて、文庫本を持って秀麗の部屋を訪ねた。彼女は眼が潤んで頬が紅く染まり、テーブルの上に何本かビールの瓶があった。妊婦にアルコールはいけないと言いかけて、少しぐらいなら良いかと思い直して止めた。部屋の灯に照らされたテラスは明るかったが、黄色い光の環の向こうには闇が広がっていて、底の方でくぐもった潮騒が響いている。私は言われるままに二つのビーチチェアを並べて部屋の灯を消した。
 秀麗は懐中電灯を片手にページを開いた。眼が懐中電灯の明かりで妖しく光っている。花の匂いがした。あまり馴染みのない匂いだ。新しい香水だろうか。
「こっち見ないの」彼女は私を見咎めた。「いつもみたいに眼を閉じて聴きなさい」
 慌てて瞼を下ろした。波音を背景にして朗読が始まる。酔っているせいか、声にはいつもより艶があり、語尾が甘い。舌の上にそうっと言葉を乗せ、優しく外へ送り出す。すると「そして」とか「だから」とか、味気ない接続詞でさえ、みずみずしい色を帯びる。匂いや手触りのある、生々しさをまとう。aを発音する時の伸びやかさは、私をくつろがせる。サ行の、囁くような響きもいい。耳が喜び、体が熱くなる。私は秀麗の声に抱かれて、陶然と身を任せた。
 不意に朗読が途絶えた。
「喉が渇いた」
 私は冷蔵庫からミネラルウォーターを持って来た。白い喉を見せて、彼女は一息に飲み干す。潮騒が高まっては退いていった。
「劉さん、赤ん坊の父親は気にならないの」
 懐中電灯は消えている。彼女の表情はぼんやりとしか窺えない。
「神様だと思ってる」
 その場の思いつきではなかった。一九四〇年代の終わり、蒋介石が台湾を占領した時に読んだ魯迅の文章には、「人生で最も苦しいことは、夢から醒めて行くべき道がないことであります」とあった。「もし道が見つからない場合には、私たちに必要なのは夢であるが、それは将来の夢ではなくて、現在の夢なのであります」。あの時この島の多くの人々が夢から醒めた。行くべき道がないことに暗澹として、現在の夢を見つけようとした。秀麗は、この生涯の終わりになって、まだ別の生き方があるかも知れないという、生のわななきを与えてくれた「現在の夢」だった。赤ん坊は、秀麗と私の、私と新しい人生の結び目だった。
 冷えた海風が吹いて、潮の匂いが鼻孔に残った。秀麗は何も言わずに懐中電灯を点けて朗読に戻る。私はビーチチェアへ横たわって瞼を閉じた。少し震えた声の響きが闇を満たす。愛らしい声だ。健気な声だ。彼女の小さな唇の動きや、濃い睫で縁取られた眼の表情は、手に取るように分かる。体温と輪郭を持った柔らかなものが、私の中へ立ち現われる。私はそれを、獣が傷を舐めるようなやり方で愛撫してやる。無遠慮に両方の腕を回して力を込めて抱いてやる。この惑星の上に、同じ言葉を話す人間が二人しかいなかったとしたら。それが秀麗と私だったとしたら。それはどんなに幸せなことだろう。









このページの先頭へ
三国志に学ぶ勝利学

三国志に学ぶ勝利学

(潮出版社)

ハンスの林檎

ハンスの林檎

(潮出版社)

見果てぬ祖国

見果てぬ祖国

(潮出版社)

トキオ・ウイルス

トキオ・ウイルス

(ハルキ文庫)

東京難民殺人ネット

東京難民殺人ネット

(角川春樹事務所)